黎宏教授「第1章行為無価値論」を読んで
[黎宏『刑法総論問題思考』中国人民大学出版社(2007年)1~39頁] 1、本章において、黎宏教授の立場は、次のように纏められる。 ① 社会的危害性概念を認める。 ② 独日においての違法性の概念を社会的危害性論に置き換える。
③ 独日における違法性の本質の論争、即ち行為反(無)価値と結果反(無)価値との対立を社会的危害性論に持ち込む。 ④ 行為反価値論の立場を社会倫理規範の維持、つまり道徳主義とする。
⑤ また、行為反価値論を主観主義刑法理論とし、結果反価値論を客観主義刑法理論とする。 ⑥ そして、主に日本の文献を引用しながら、行為反価値論を批判し、結果反価値論を支持する。 2、いくつの感想 本書は、日本刑法理論を紹介する文献としては、意味があると言えよう。
しかし、いくつの検討を加える必要があると思われる。 A、①の立場は、ともかくとして、②の立場でもおおむね理解できる。しかし、③の立場について、違法性の本質を議論するに当たって、この国の政治体制を無視することができるのかは、疑問が残っている。
中国では、少なくとも、正統の見解は、法を「支配階級が被支配階級を統治するための道具」としている。
これを全く触れないで、単に行為反価値と結果反価値との対立を社会的危害性論に持ち込んで、違法性の本質を解明するには、不十分と言えるだろう。行為反価値論であれ、結果反価値論であれ、また両者の内部の各立場においても、違法の本質を支配階級の統治秩序の維持とする人は一人もいない。
B、④は、黎教授の師匠大谷實教授の見解ではあるが、これは、はたして行為反価値論の一般的な立場であろうか。なお、最近の行為反価値論者の紹介がほとんどいなかったことも問題の回避にしか見えない。
C、⑤は、あまりにも短絡である。学説史を検証せずに、日本学者の古い文献を1つ引用するだけで、説明が足りているとはとうてい言えない。 本書は、一見中国刑法理論、例えば社会的危害性等の概念を取り上げているが、中国の刑法問題についてどのくらい論じていたかは、甚だ疑問を感じる。
中国刑法の条文規定は、まったく触れていないと言えるくらい無視されている。外国の理論を中国に導入させようとしても、中国の問題を解決するに当たって、まず中国の問題を十分論じた上で、行うべきではなかろう。