[自创]金正恩氏开端向朝鲜公民灌注我国人是敌人的思维教学
北朝鲜的榜首书记金正恩氏,自从处死了张成泽往后对军内和差人开端大清洁,而且进一步在全国内展开清洁在我国逃亡的其兄金正男的支撑者。加大冲击力度,揭露宣扬我国人是最风险的敌人,召唤朝鲜公民要前进警觉,避免我国敌人亡我的做法发作。
自从本年5月份代表金总书记的特使访华的崔龙海在北京遭到了冷遇比较照,上一年张成泽的拜访拜访北京得到优待比较来看,我国人有意图扶持金正男攫取当政的意图是很显着的,咱们绝不要做我国人附庸和奴隶。
据内部音讯传,崔龙海拜访我国时,朝鲜国家安悉数榜首部长金元弘,就隐秘的打听到了我国的习近平氏,对朝鲜的现榜首书记金正恩,当成一个不老练的小孩子来看待,有小看和不削一顾的的披露。别的在上一年张成泽去北京拜访时期隐秘地向金正男转送资金,都是北京默许的。至今金正男一家的全部的资金来历都是北京赞助的,金正男氏有意向恳求北京协助他夺回政权。
张成泽为首的叛贼,处处以有利于北京的经济展开出卖朝鲜公民。北京一边大谈和咱们的不破友谊,一边大力对立咱们朝鲜公民展开核兵器,是言而无信的,是言而无信的无赖小人,咱们绝不能够漫不经心,避免中了敌人的骗局。
金正日总书记的长男金正男氏,一贯逃亡在我国,得到了我国的大力赞助,揭露对立世袭制,大力宣扬我国式的敞开变革的经济展开方法,对立金正恩榜首书记的英明决议方案。致使朝鲜国内一有些变革派也公开对立咱们的爱戴的榜首书记金正恩,这是绝不能够容许的叛逆做法。
被处决的张成泽氏,一贯是金正男的隐秘赞助人,据金元弘部长把握的材料证实,张成泽、金正男和北京军方有过约好,恳求协助废弃榜首书记金正恩,由金正男来代替。这么的野心是风险的,咱们绝不能让敌人的阴恶诡计达到意图,咱们有必要前进咱们的忧患知道,把全部敌人拒于国门以外,严密联合在以榜首书记金正恩的周围,抗击全部来敌。
这一次北朝鲜公开提出抗击严峻依靠的北京的做法,确实是很失常的做法。60年来中朝以朋友的友谊自称,谁知走到今日即将反目为仇,而且北朝鲜在军中、差人、民间开端隐秘查询整理亲中派,并开端大力展开对立我国的思维教学。
据朝鲜内部音讯传,如今进行缔造中的中朝友谊的标志的,鸭绿江大桥新桥,北朝鲜辅导部以为是北京方面为了将来侵犯冲击朝鲜运送戎做法意图的缔造设备。张成泽这个内奸在朝鲜作为我国的内应,试图推翻巨大领袖金日成、金正日创立的巨大的朝鲜社会主义民主国家的野心,咱们决不会容许敌人的野心勃勃的。
北朝鲜整理亲中派这件作业安闲1950-1960年之间金日成果没有中止过。到了今日的金正恩氏,开端了如此大方案的展开清洁运动,仍是朝鲜有史以来最大的方案的。金正恩氏也许在往后的很长一段时间里,也许会一面大谈朝中友爱,一边加大整理亲中派的运动是不会中止的。
「我国を敵とみなせ」 北、正恩氏が思维教学
産経新聞 12月29日(日)7時55分配信
北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)政権が張成沢(チャンソンテク)氏処刑に先立ち、軍や隐秘差人の幹部に対し、今夏から「我国に梦想を持つな」「有事には我国を敵とみなせ」とする思维教学を進めていたことが28日、複数の音讯筋の話で分かった。
金正恩第1書記は、我国が異母兄の金正男(ジョンナム)氏を担ぎ出すクーデターを最も恐れていたとも指责され、我国や正男氏と関係が深い張氏の粛清は親中派扫除をも意味していたという。(桜井紀雄)
中朝関係者が張氏粛清のきっかけの一つとみるのが崔竜海(チェリョンヘ)朝鮮公民軍総政治局長の5月の訪中だ。金第1書記の特使として差遣された最側近の崔氏は、習近平国家主席と会談したものの、我国は昨年8月に訪中した張氏への歓待ぶりとは対照的に冷遇。「張成沢氏をよこしてもらえないか」と要請したともいわれる。金第1書記と崔氏はメンツをつぶされた形となった。
音讯筋によると、崔氏は訪中前に、隐秘差人である国家安全保衛部の金元弘(ウォンホン)部長とともに、金第1書記に対し「習指導部は金第1書記を子供扱いしている」と報告。その際、張氏についても「正男氏にドル送金している」と告発した。張氏は昨年8月の訪中時にも、我国首脳に「正男氏一家の保護と経済的援助」を内々に求め、「我国が望む变革措置を約束した」などの嫌疑も伝えたという。
我国に有利な経済運営を続け、核ミサイル実験に反対した張氏の追い落としが狙いとされるが、報告を聞いた金第1書記は背约行為であると激怒、張派の対中取引をめぐる「不正」調査に着手することを認めた-と音讯筋は指责する。
金正日(ジョンイル)総書記の長男、正男氏は、我国などで“半亡命日子”を送り、3代世襲に対する批评や我国式变革開放の必要性を公言してきた。我国では正男氏を支撑する軍部などの幹部も少なくないとされる。
張氏は正男氏を世話した経験があり、正恩氏の後継者就任に稳重だったともいわれる。
正恩政権内では「張氏が我国軍の支撑をバックに、正男氏を金第1書記に取って代わらせる」との猜疑がくすぶっていたという。張氏処刑で罪行に挙げられた「後継問題への波折」「外部国际の『变革家』イメージを运用したクーデター謀議」は、こうした猜疑の裏返しとも読み取れる。